どうして英語を習得したいという思いがいつまでも消えないのだろう?
改めて考えてみたら、どんな風に楽しめばいいのか、見えてきた!!
①そもそも私の頭の中には英語を話せるデータベースは十二分に整っているはず。
なのに操れないことに対する違和感。
でもね、データを入れることができたのはそもそも英語が好きだったの。
学校の勉強の中でも英語は好きだった。マドンナやシンディローパの歌詞カードを見て、一緒に歌ってた小学生のころから、英語の響きが好きだった。
②英語が話せたらいいのに!!
活躍できる仕事に広がりが出るし!
世界のいろんな人とお話しできるし!
でもね、よく考えてみたら、ソウダッタライイノニナァーってぼんやり思ってるけど、具体的に何かについて語り合いたいわけでもなければ、語り合いたい誰かも思いつくわけじゃない。「もしも英語が話せたら」、という前提のうえにあることであって、目的が先に置かれていない!!!
? 英語の何がかっこいい素敵だ、と思っているのか。
すごい発音悪くても誰とでも意思疎通ができちゃう!
とかは別に憧れない自分に気が付いた。
見えてきた、見えてきた。
要するに英語を美しく発音すること、究極はそこなんじゃないか????
ひいては、かっこいい英語を目指して発音すること自体が楽しいんだ!!!
もちろんその内容が自分の気持ちであればなおいいし、
パシンパシンとテニスのラリーのように返し合えたならもうそれは気持ちいいだろうけど。
(お?!気持ちいい?それ、意見を交わす気持ちよさというより英語話せてる!という気持ちよさの方が大きいみたい?!)
結果発表
ダンスをうまく踊れたらかっこいい!ていう感覚と同じように、英語が話せたらかっこいい!って思ってたんだ!
フリをバシッとキメれたら気持ちいい!という感覚と同じように、相応しいフレーズをバシッと言えるの最高!って思ってた!!
結局自己満足の自己陶酔、趣味!コミュニケーションとかじゃないのよ目的が!!
( ´艸`)結構笑えるけど、それが現時点の本当のところのようです。
そりゃーなんか、上達しないのもわかる気がする。
伝えたいことがあるわけでもなし。なんか結構軽率ミーハーな動機。
でも、しゃべれるようになりたい気持ちは、子供の時からずっと抱えてきて、
いまだあきらめきれないしつこい望み!
どうしても叶えたいんですね。これは楽しい未来への道しるべ。
というわけで、的を得ていたのです。
英語の会話文を読みあうというワークが。
何がそんなに楽しかったんだろう、読み合うだけが!!!??というくらい楽しかった音読キャッチボールが、この謎解きのヒントをくれたのでした。
私達、なんちゃってペラペラスピーカー、英語ごっこって感じが楽しいんだ!!!
となりました。
いい年をした大人はこういうの、案外気づきにくいのよ、たぶん。
英語は「勉強」であって、まさか遊びになりえるとは思わなかったし、
(しかもごっこ遊びwww)
コミュニケーションのツールであって、手段であって、
それ自体がエンタメだとは思いもしなかったもので。( ´∀` )
と、いうわけで、何が喜びなのか明確になったところで、
いままで持ち越してきた願い、やっと楽しく取り組むことができそう!!!!
その過程をここに残していこうと思います♪
発見として大きかったのは、話せるようになる、というゴールは目的じゃなくて
沢山発音して楽しむ!が目的だということ。
だからもう、できるできないに悩まされることもなく、
え!?なんか、すらすらできるようになってない???という変化は後付けで楽しむものに過ぎないという構図。
Jazzの素敵なナンバーのタイトルになぞらえて♪(^▽^)
What a wonderfull world.
What a differences day made.
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